用語解説集
第1章用

人物名
ハインツ・ノルトホフ
VW社2代目社長。現在のVW社の企業形態の基礎を作った。在任中に病没。
クルト・ロッソ
ノルトホフの後を継いで1968年、VW社の社長に就任するが、経営手腕はかんばしく無く、多大な赤字を作り1971年に解任される。
Dr・フェルディナント・ポルシェ
言わずと知れた初代ポルシェ博士、だが、実は「ポルシェ社」の車としては1台も製作には関わっておらず、もっぱらVWタイプ1の設計者として有名。
フェリー・ポルシェ
フェルディナント・ポルシェ2世。フェルディナント・ポルシェの息子で、息子の方は父親と区別するためにニックネームの「フェリー」で呼ばれる。ポルシェ社の初代社長。
ルドルフ・ライニング
ロッソの後を継いで4代目VW社長となる。優れた経営手腕によりVW再興の基礎を作るが、1974年反対勢力に押されて退陣。しかし後々まで後任の後押しをしたとも言われる。
エルンスト・フールマン
かの名機「フールマン・ユニット(550スパイダーに積まれ、以来10年以上ポルシェ社のレーシングエンジンの基礎になった)」の設計者として伝説的な存在。ポルシェ社の2代目社長となるが、1979年退職。
アナトール・ラピーヌ
元GMのスタイリストで928、924の設計主任者。彼の出世作として有名なのは初代コルベット・スティングレイやオペル1900GTなどがある。928、924では「カタマリ理論」を駆使して前衛的なスタイルを作り上げた。
ルイードウィッヒ・クラウス
当時のアウディの最高責任者。ライニングにフロントエンジンのスポーツカーを作るよう提言したことによりポルシェ914は生産中止に追い込まれることになる。
フェルディナント・ピエヒ
フェルディナント・ポルシェの孫、フェリー・ポルシェの姉ルイゼ・ピエヒの息子。長い間ポルシェ社の技術者として在住していた。現在ではアウディ社を含めたVWの最高責任者として有名。
トニー・シュミッカー
ライニングの後を継いだ5代目VW社長。ライニングのやり方を忠実に引継ぎ、VW社の再興に貢献した。

用語解説・車 [1]
会社名・用語 [1]
用語解説・人 [2]
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