第4章 3話
究極のFRスポーツ

1993年はポルシェ社にとって、記念すべき年であった。

それは、あの『911』の誕生30周年記念の年であり(途中、930、964という「モデルチェンジ」はあったが)、 スポーツカーの単一車種で、これほど息の長かったモデルは例を見ない物だったからだ。
そして、1993年は別の意味でもポルシェ社にとって、様々な記念碑を建てることとなった。

まず、この1年は、ルーディ・ノッペンの優れた経営手腕を発揮した1年だったと言う事である。
ノッペンは92年から93年にかけて、まるで記念の年と申し合わせたかのように多くの魅力的なモデルを発表した。
964ボディーのポルシェ・ターボ3.6、911カレラ4 30ジュビリー、カレラ2/4のターボルックモデル、 カレラRS3.8、そして930ボディーの時にも多いに好評を博したスピードスター・・・ しかも93年の9月には、諸兄も御存知の『最後の空冷911』と言われる「993」がデビューした。

しかしそれ以外のモデルも魅力的だった。

まずは968だが、これは92年より「968CS」と呼ばれる特殊モデルがラインアップされた。
このCSの意味は、当然『クラブスポーツ』なのであるが、例えば924や944、又は944SやS2と違い、 足回り中心の改良版ではなくむしろ、「968RS」と呼ぶべき改造が施されていて、 足回りは標準のトーションバーにコイルスプリングを追加し、乗員人数も2名に変更、 そして内装までもがスパルタンな専用品(かつての944と同じ内張りと専用バケットシート)を付けるといった具合に、 完全な「別物」として仕上られていた。

ここで特筆したいのは、968CSは「特殊」な車であるのと同時に、「普通」の車でも有ると言う事である。
この相反する言葉には諸兄も首を傾げるに違いないであろう。
しかし968CSを理解すればするほど、このように表現する以外私には思いつかない。
968CSは、確かに「別物」で「特殊」である。
はっきり言い切ってしまえば、968CSの足回りは、第3章4話に出てきた「944ターボカップ」の車輌の足回りのリファイン版である。
簡単に書いているが、「944ターボカップ」の車輌はレーシング・カーである事を忘れてはいけない。
つまり968CSを手に入れる事は、ほんの数年前までサーキットを走っていた車輌と同じ『足回り』の車を手に入れる事になるのだ。
これがどれほどすごい事かは、少し考えてもらえれば簡単に分かってもらえると思う。
そして、相反する「普通」の部分は、968CSの事を先ほど、「RS」と呼ぶに等しい、と書いたが、911系のRSとは違い、 エンジンは全く『素の』968と同じだと言う事である。
これはあの、使いやすかった968のトルクフルなエンジンそのままだと言う事、 また、馬力から来る動力性能には全く差が無いと言う事がわかる。
内装など多くの専用品のおかげで、約50kgほど車重は軽くなってはいるが、動力性能的にはほとんど変らないと考えてもらってもよい。
確かに加速などは厳密に計測すれば、多少は違ってくるだろうが、それでも「目に見えて・・・」と言われると、難しいと言う以外に無いだろう。
しかし少しでもコーナーを攻めた事の有る人ならわかるだろうが、50kgというのは、限界付近での挙動変化には大きな働きを示す。
つまり968CSは、レーシング・カー並の「特殊」な運動性能と、買い物にも使える968のフレキシブルな「普通」が同居した、 相反する個性が上手く調和した秀作であると私は言いたいのだ。

そしてもう一つの968の目玉は、944ターボ以来途絶えていたL4のターボ車である「968ターボS」と、 そのレーシングモデルである「968ターボRS」の登場であった。
これはノーマルの968、968CSとそれに、944ターボの部品を上手く取り合わせた合作で、エンジンは他の968とは違い、 944ターボと同じSOHCヘッドに968のボア×ストロークを組み合わせた3リッターターボで、 元々はFRポルシェ(と言うよりL4ポルシェ一連)のシャシ性能に関してのテストケースだったと言う話である。
したがって生産も、厳密にはツッフェンハウゼンでは無く、ポルシェの研究開発センターのあるヴァイザッハで行なわれた。
しかも元が研究開発のための機関であるから生産台数は極端に少なく、ターボSとターボRSの合計でも50〜60台(一説には70台)しか無いと言われている。

ここで一つ特筆したいのは、ノッペンの市場に対する対応の上手さである。

上記の911系のモデルのラインアップを見てもらいたい。
また、下記に説明した、968のヴァリエーションの2つも想像してもらいたい、何か気付かないだろうか? これらのモデルは、全て、それまでのモデルの焼き直し、もしくは、部品の流用から生まれた車だと言う事である。
例外は、911ターボ3.6と993だが、ターボの方は964発表当時より開発されていた事から、特にこの時期になって開発されたわけでは無いことが判る。
つまり開発に掛かった費用のほとんどは、993のみであり、他にコストを掛けずにこれだけの多種多様なモデルを作り出す「上手さ」が彼の経営手腕であったのだ。

しかも、コストが掛かっていないと言っても、これらの車が魅力的で無い、とは限らない。むしろ、充分魅力的であると言い切れる。
911系にしてもそうだが、968を基本とした2台、968CSと968ターボSには、あの944ターボの血脈が受け継がれているのだ。

1985年、944ターボが発表された時についた仇名は、「世界最高のFRスポーツ」の称号であった。
968CSと968ターボSは、その偉大な車の子孫であり、DNAの正当な伝承者である。
そして、その魅力と完成度においては、偉大な「先祖」を越えた、と言っても過言では無い。
その素晴らしさは「世界最高」を越えた「究極」であると言える。

究極のFRスポーツ、ポルシェ968CSとターボSが発表され、これからのL4ポルシェの前途はもう一度開けようとしていた、が・・・


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