L4ポルシェ物語
第4章 L4の終焉
1話 パイロットモデルとして

バブル経済は、大きな爪痕を様々な分野に残したが、944もその痛手を被っていた。

かつて後追いのライバルであった日本車勢は、好景気の波に乗って次々とモデルチェンジを行い、気が付いた時には944どころか、 最新型の964よりも高性能で魅力的な車も次々にデビューしていた。 しかも、その多くの日本車が「開発の手本としたのは944ターボ・・・」と発言していた。
実際、この発言に嘘はなかろう。
なぜなら、この時期を境にして、日本のスポーツカーの技術は飛躍的に進歩を遂げたと言ってよいのだから。
今考えてみると、この時期は日本の自動車メーカーの開発エンジニアにとって、最良の時期ではなかっただろうか。
何しろ、コストと時間の制約が多い事で有名な「日本の自動車メーカー」が事もあろうに「ポルシェに並ぶ車を開発したい。」 と言うエンジニアの要望に、あっさりと首を縦に振ったのだから、バブルの好景気で狂っていたとは言え、 それまでの日本のメーカーでは考えられない事である。
しかし、冷静に考えてみれば、狂った状態だからこそ、日本のメーカー達の本音が出た時代でもあったのかもしれない。
車の開発、そして製作に携わった者で、「ポルシェに並ぶ高性能車を作りたい。」と感じない人がいるのだろうか?

しかしそのおかげで、944の競争力は目に見えて減退していった。

既に944ターボとS2のみを残した944は、新しくパワーアップした日本車に対して『追い討ち』をかけるべくリファインされる事になる。

それが「944S3」と呼ばれる944S2のマイナーチェンジ計画であった。

1989年をさかいに、アウディのネッカーズフルム工場での生産を終えたポルシェ社は、ツッフェンハウゼンの自社工場で944を生産しなければならなかった。
しかしその頃、新しく主力製品となった964カレラ4、カレラ2がラインの多くを占め、944系はラインの片隅に追いやられている状態であった。
ポルシェ社は、この944ターボと944S2のモデルを一本化して、ラインの効率性を上げると共に、 944S3の性能を、限りなく944ターボに近づける事によって、ターボとS2のどちらもリカバーするように指示を出したのである。

944S3にはまた、別の使命も与えられた。
目まぐるしく進歩して行く自動車技術をメーカーの商品に反映して行く為に、 新しく開発された技術を積極的に取り入れた「パイロット・モデル」として多くの「新しい試み」を取り入れる事であった。

また、ラピーヌが設計したスタイルも今回大きく焼き直す事も考えられた。
ラピーヌの設計した924や944は、何処から見てもスタイリッシュで、非の打ち所の無い完璧とも言えるバランスの良さを表したスタイルではあったが、 その半面他のポルシェ各車に見られた押し出しの強さやアクのあるアイデンティティーが少なくも感じた。
また、日本やアメリカの小型スポーツカー(アメリカの場合は、ほとんどが提携していた日本のメーカーが製作していたのだが)が、 こぞって924や944のスタイルを模倣したため、無国籍な雰囲気さえ924や944は感じさせるようにもなっていた。

これらを踏まえた上で、944S3は開発される事となった。

スタイリングは、BMWより移籍して、ラピーヌの後を継いでポルシェの設計主任になった (ラピーヌは、928と924の設計のオファーのすぐ後に、ポルシェ社の設計主任として数年在籍した)、 ハーム・ラガーイに任された。ラガーイは、944の基本シルエットをそのままに、フロントグリルに928とも、959とも、 また見方によっては、911や964にも見えるようなスタイルを見事に植え付けた。
また、リアビューに関しては、928にも944にも似ているようでいて、しかし充分にオリジナリティーの溢れるスタイリングを与えた。
944S3はまるで、ラピーヌと、その前任の設計主任であったブッツィ・ポルシェと、そしてラガーイの3人が合作したかのような、 ポルシェの集大成とも言えるようなスタイルを得たのであった。

そして、盛り込まれる技術もスタイルに劣らず豪華だった。
まず、それまで限られた車種か、限定生産にしか使われなかった6速ミッション(ゲトラーグ製)を装備し、 928のようなポップアップ式ヘッドライトには、928と違い「斜角反射鏡前照灯」(928は、垂直反射鏡タイプ)の方式の物を採用し、 また、エンジンにはポルシェ社が特許を取った「ヴァリオ・カム」を装備したDOHCヘッドを取り入れた。
ATに関しては、964で定評を受けた「ティプトロニック」をより改良した物を用意し、それ以外の目に見えない部分も、 944に比べて細かいセッティングなどがリファインされる事となった。
つまり、表面的にはマイナーチェンジだが、実質完全なるモデルチェンジである。
もっともこれらの開発とセッティングのおかげで、944S3の完成は遅れたために、それまでの944は一つのカンフル剤を手に入れる事になる。
それは、「911カレラ・カブリオレ」のヒットより生まれた「944S2・カブリオレ」であった。
これは当初、1986年にショー・モデルとして「944ターボ・カブリオレ」が開発されたのだが、「ラグジュアリー」でも「スポーツ」でもない、 新しい魅力のある944のレパートリーとしてその3年後の1989年(日本では1990年モデルより)に、 エンジンを最新型の3L、DOHCのS2エンジンを積み「944S2・カブリオレ」として登場、 極く少数「944ターボ・カブリオレ」生産された。
この魅力的なオープンモデルは、当然の事ながら、次の「944S3」にも採用される事になる。

また、ポルシェ社が日本車に学んだ数少ない点の一つに、「いかにしてコストを上げずに車を魅力的に見せるか」と言う事があるが、 944S3には、それを上手く取り入れていた。
内装の、ドアの内張りにリブを入れておしゃれに見せたり、またエアバッグ内蔵のステアリングは、 それまでの944とは違いダッシュボードと同じ色に染められたりして、明るい雰囲気を全体的にかもし出した。

多くの新技術を盛り込んだ、ポルシェの技術の集大成であり、また、今後のポルシェのパイロット・モデルとしての役割を受けた車、 944S3は、発表直前に、「今までの944とは全く違う」と言う事、また、944よりも新しく、魅力的な車と言う事を強調するために改名する事となった。

コードナンバーE−968より、モデル名「ポルシェ968」とネーミングされたのである。


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