第3章 5話
落とし穴

バブル経済の恩恵で、ポルシェ全車は売れた。
しかしポルシェには、新たな問題が浮き上がる事となる。

それは、944と911の社内での格付けであり、今後この2車をどのように扱って行くかと言う問題であった。
944は911に近すぎた。
確かに「911の後継車」としての位置付けを与えられた944が、911に近いのは当然と言えるだろう。
しかし、狂ったようなバブル経済は、944を始めとするL4ポルシェ達を、今度はどん底に突き落とす事になる。

思いも寄らなかったのは日本車の高性能化である。
924S、944、そして新しく開発された944Sは、それぞれに完成度の高い、優れた車だったのだが、 好景気に後押しされた日本のメーカー達は、次々と各モデルをパワーアップ化したニューモデルを送り込んできた。
それらは当初、L4ポルシェ達に後追いする立場だったはずなのだが、知らず知らず肩を並べ、追い抜いて行ったのである。
ライバル達に『見劣り』する車をラインアップに載せておく事は出来ない。
1988年にはまだ新しくエンジンを乗せ変えたばかりの924Sを生産中止にしてしまう。
また同じ年、944はエンジンを排気量アップしてパワーアップを図ったが、やはり『後追い』だったライバル達には付いて行けず、 1989年にはヨーロッパ仕様のみとなり、生産規模も大幅に縮小された。
また、944Sもやはりパワーアップの為に、1988年にエンジンを3Lまでアップ、ボディー、シャシを「944ターボ」と共通した「944S2」に進化を遂げる。

944ターボはまだ元気であった。
1987年から88年にかけて、「944ターボカップ・レース」用の市販バージョンとして「944ターボS」を限定で1000台売り出した。
そして翌88年(日本では89年モデル)から、944ターボはこの「944ターボS」と同じ250HPエンジンを積んで売り出された。
ちなみにこの時期、フェラーリも「328GTB」を「348tb」にモデルチェンジしている。

しかし、シュッツがポルシェ社を去った1987年ぐらいより、ポルシェ社の状況は変わってきた。
シュッツはあくまでもビジネスマンであり、利益追求の男であった。
それまでポルシェ社が輸出に対して持っていた、輸出国が集中する事はリスクが伴う、と言った考え方をシュッツは全面的に否定し、 最大の輸出国であるアメリカの市場に社長退陣寸前の時には、全体の60パーセントを送り出していた。
それまでのポルシェ社(フェリーやフールマンが社長就任時)は、何とか50パーセントを越えないようにそれを抑えていたにも関らず・・・ そして1987年10月、証券市場での株価の大暴落・・・シュッツは追われるようにポルシェ社を去った。
馬鹿みたいな好景気に翳りが見え始めたのだ。

シュッツの後を継いだルーディ・ノッペンは、この翳りの見え始めた景気が近々完全に落ち込むだろう、と目安を付けた。
そして、商品ラインアップの見直しを考えなければ、ポルシェ社の『生きる道』は無い、と感じていた。

ポルシェと言う名前にとって、やはり911は特別な物になっていた。
例えば928なら、安楽に『堕落』した「テスタ・ロッサ」があったし、アストン・マーチンも徐々にかつての名声を取り戻してきた。
944ターボなら、フェラーリの328(87年当時はまだ、「348」は出ていない)やコルベットといった、『代用品』が様々なメーカーによって作られていた。
しかし911だけは違った。
既にクラシカルなこの名車は、何にも似ていない、唯我独尊の道を歩んでいたのである。

そして決定的な状況が見えたのは、1988年、911・4WDとして開発されていた「カレラ4」が発表された時であった。

「カレラ4」は良く出来た車だった。
確かに初期ロットの製品には細かなマイナートラブルも多かったのだが、長い年月をかけて開発されただけあって (最初期のプロトタイプ「911・4WDカブリオレ」の開発は、1977年より始められた、と言う)、 911の強いクセが大きく変化し、誰にでも扱えて、なおかつ911らしい、と言うシュッツの期待通りの評価を受けた。
そして、スペシャル・バージョンとして作られるであろう「964・2WD」が待ち遠しい、と言う声の多い事に驚いた。
当初、カレラ2と呼ばれる964のRRバージョンは「RS」のような限定生産の予定だった。
しかしこのカレラ4の反響と、カレラ2を待つ人の多さは、ポルシェ経営陣に新たな決断を強いる事になった。

「944と964、どちらを我々の主力にするか・・・。」

944は既に、ベースモデルでは競争力が無くなっていた。
「ターボ」と「S2」は何とかなみいるライバル達に対応出来たが、今後これ以上のパワーアップは苦しい。
964はベースモデルのカレラ4でも、944ターボと同等の性能を引き出していた。
また、アウディ社のネッカーズウルム工場の返還の時期もこの話に拍車をかけた。
ポルシェ社のツッフェンハウゼン工場だけでは現存車種が全て満足出来るような生産は無理な事は判り切っていた。

そしてもう一つ、バブルの落とし穴が待っていた。

944系はバブルの絶頂時、非常に多くの台数が生産された。
そのため世界中に944があふれ、中古車市場では供給量が需要よりも多く、944は短期間で簡単に値崩れを起こした。
944を求める人は、いともたやすく『安くて』『程度の良い』中古の944が手に入るようになっていた。
そして当然新車の944の登録台数は目に見えて減っていったのだ。

ポルシェ社の方針は決まった。
ポルシェ社は944系の生産量を縮小し、カレラ4の2WD版、カレラ2を通常ラインに乗せる事にした。

バブルによって絶頂を迎えたL4ポルシェは、皮肉にも同じバブルの『落とし穴』に突き落とされたのだった。


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