第3章 2話
バブル経済

1985年、日本の経済が狂い始めた。

円高、株価の高騰、狂ったような土地の値上がり・・・

バブル経済と呼ばれた「経済混乱」が始まったのである。

当初、日本国内だけに留まっていたこの経済混乱は、またたく間に世界中に飛び火し、気が付いた時には世界中が好景気に浮かれる事となった。

自動車産業もこの例外では無く、世界中の人々が今まで「高嶺の花」と思われていた車が手に入るようになり、多くの高級スポーツカーやリムジンが今までに無いぐらいに売れ始めた。

この現象は、ポルシェにとっても例外では無く、特に生産中止が騒がれた911は、今までに無いぐらいの受注、生産台数を記録した。
そして同じように928、944も想像出来ないぐらいの受注を受ける事になる。

928、944は前話でも述べた様に、オートマチックトランスミッションを完備した新しいGTスポーツであり、 特に944は当時のヤング・エグゼクティブ、ヤッピーと呼ばれる人種により好まれた事から「ヤッピー・ポルシェ」の仇名まで付く事になった。
同じ様な現象が世界中に起きるのにさほど時間はかからず、ほどなくして944は、「安楽なヤング・エグゼクティブの移動手段」としての確固たる地位を獲得する事になる。

911の場合は928、944とは少し違っていた。
911の場合、決して安楽な移動手段とはなり得なかったし、何よりその操縦の難しさは、万人に勧められるものではなかった。
しかし911には、それだからこその魅力があった事も事実であり、911を求める人々は、928や944を求めようとはしなかった。

しかし、911の独特な魅力は否定出来ないし、何より強い「クセ」は、時として強力な「セールスポイント」となる事をシュッツは知っていた。
そこでシュッツは、1984年にプロトタイプとして製作した「911・4×4」を生産ラインにのせる事を検討する。
911・4×4は文字通り4WDである。
アウディが4WDスポーツ「アウディ・クアトロ」を発表し、ラリーのグループBで活躍している事は少なからず各自動車メーカーに衝撃を与えた、当然、ポルシェ社にも・・・。
そこでポルシェは911SCを元にして、2種類のラリー・スペシャルを作り上げた。
それが911SC−RSと911・4×4である。
911SC−RSがそれまでの911SCを元にした3Lエンジンを積んでいたのに対して、4×4はその後の「911カレラ」を元にした3.2Lエンジンを積んだ4WDであり、 そのドライブシャフトには944の物が使用されたと言う。
この911・4×4は、1984年のパリ・ダカールラリーに出場し、総合6位の成績を残している。
そしてこの車は、後の「ポルシェ959」の開発にも多大な影響を与えた。
ポルシェ959は、言うまでもなくポルシェの技術の最高結晶である。
これは良く911との関係は伝えられるが、実は、928や944とも関わりが深い。
ドライブ・トレーンは911と944(厳密には後に発表される944ターボ)の物を流用し、開発されていたし、電子制御部分の多くは928の物を進化させた物を使用していたのだ。
また、エンジンはレーシングカー、ポルシェ956や962Cのエンジンをディチューンした、2.85L、部分水冷エンジンを使用していた。
しかしこの959は、なにより量産できるシロモノではなかったし、仮に出来たとしても天文学的に高価な値段になる事は判り切っていた。
いかに時代が狂ったような好景気とは言え、959を量産ラインにのせる事は危険が大きすぎる。
そこで、その大元となった、「911・4×4」を生産ラインにのせようと言うのである。

シュッツは、この「911・4WD」計画に大変乗り気であった。
実は、シュッツは911のまま、928や944のような「安楽なGT」を作りたかったのだ。
911の魅力を損なわずして、RRの911に走行安定性を求めるなら『4WD』はまたと無い魅力的なシステムだった。
だが、シュッツの目論見は少々当てが外れてしまう。
実は旧態化した現存の911の、ボディー、シャシでは4WDシステムを組んだとしてもクセの強さは消す事が出来なかった。
そのため、ほとんどをリニューアルする必要があり、4WD車が完成したのは『バブル経済』も終わりに近づいた1988年後半であり、我々の前には「カレラ4」という名前で姿を現わす事になるのだ。

とにかく、911を始めとするポルシェ各車は売れた。
しかし、ポルシェと同じ様に、いや、それ以上に『フェラーリ』は売り上げを伸ばしていた。

諸兄もご存知の様に、フェラーリは元々量産を前提としていないメーカーである。
その為経済の混乱による好景気が始まった時、受注に対して生産が追い付かなかった。
フラッグシップのテスタ・ロッサや既に生産中止となった365GTB4デイトナ、ベルリネッタ・ボクサーは仕方が無いにせよ、 只の308GTBiや308GTB/QV、モンディアル8までが、プレミア付きの価格で取引される様になっていたのだ。

ポルシェ側から見れば面白くなかった。かつての『工芸品』のように素晴らしかったフェラーリには、ポルシェの技術陣も尊敬の念を抱いていたが、 この頃のフェラーリには、そのような丁寧さよりもむしろ、目に見えてコストダウンを図るフィアットの蔭が色濃くなって、単なる『工業製品』としか見えなくなっていた。

「工業製品なら・・・機械製品なら我々の方が上だ・・・」

プライドの高いポルシェの技術陣はそう思ったに違いない。そして、その想いがフェラーリを破るべく944を進化させるのだった。


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