L4ポルシェ物語
第3章 栄枯盛衰
1話 944と911

944の開発には、それまでの928、924、924ターボで培われて来たノウハウがふんだんに生かされた。
この新しいFRポルシェは多分、今までに無い過激な走行テストを発表前に繰り返されたと言われている。

まず例のル・マン参戦、そして1981年にプロトタイプが発表された944は、その後アフリカの砂漠越えから雪のアルプスの峠越え、 都心の渋滞道路までテストした後、そのままの(!!)車をレーシング・サーキットに持ち込みぶっ続けで何時間も限界走行させたと言う。
この3万5000Kmにわたる走行テストの後、交換必要な部品は「タイヤのみ」だったと言われている。

万を期して、944は1982年(日本では83年モデルとしてカウントされる)よりカタログモデルとしてラインアップされた。
それは、944LMに使われたようなDOHC4バルブやターボ・チャージャーは装備されていなかったが、 最高出力163HP(日本仕様は155HP)をマークしていた。
この数字はほぼ924ターボ(177HP)に近く、924と比べるとずっとパワフルで、 しかも924で「アウディエンジンのポルシェ」と陰口を叩かれていたエンジンが、 944では正真正銘ポルシェ製(実は924ターボのエンジンも、組み立てはツッフェンハウゼンであった)にもなり、 重量もあまり増えなかった事もあって、928のスケールダウンモデルと言う位置付けだけで無く、 軽快なハンドリングやコーナーリングが楽しめる車に仕上がっていた。

またカレラ(正確にはSC・・・スーパー・カレラの略)とターボしかなかった当時の911にとって944は、 1977年に生産中止になった普通の911(77年当時で165HP、日本名911Sまたは911SDX)の代わりとしてのポジションに置かれる事にもなる。
シュッツにしてみれば、944はただ928のスケールダウンとしてのパーソナル・クーペと言う位置付けだけでなく、 いずれ911に取って変るポルシェ社の中心としての位置付けを狙っていた。

確かに944は、魅力的な車だった。 デザインについては、ここで多くを語るのは止めておくが、最大の特徴である924カレラGTにも似たブリスター・フェンダーは、 線が細く女性的にも見えた924に似たスタイルを、ぐっと攻撃的に、マッシブな印象を与えていた。
また、エンジンについては2.5リッタークラスで、最もタフでスムーズでパワフル、と言う評価が多かった。
実際アメリカなどでは、排気ガス対策で力の落ちたフェラーリのディーノ308GT4やモンディアル8 (発売当初205HPと発表されていたが、多くのイタリア車に見られる「希望的数値」だったと言われる)、 また日本車のトヨタ・セリカ・スープラ(日本ではセリカXX2800GT)やダッツン280ZX(日産フェアレディー280Z)など、 多少大きなエンジンを積んだライバルと比べても遜色無い性能、と言う事で、発表当初よりポルシェの人気モデルに昇って行った。

ただ、やはり頭の堅い911フリークは、944を素晴らしい車だと言う事、真のポルシェである事を認めても、 これを「911の後継車」と言う位置には置こうとはしなかった。
まだまだ911の後継車となるためのカリスマが薄く(と言うより、発表されたばかりの車にカリスマを求める方が無理な話だが)、 シュッツは911と944を並行して、次第に911を944にフェードアウトさせていく方針で進める事にする。

そのため911は延命作業を施される事になる。まず「アメリカ人」に受ける(くどいようだが、シュッツは「アメリカ人」だ)様、 82年にカブリオレボディーを追加、またエンジンは3Lから3.2Lにアップされ、排気量アップ後の名前をあの栄光の『カレラ』を名乗らせた。
これはフェラーリも似たような政策を取っており、ディーノ308GT4の後継車を『モンディアル』、 512BBiの後継車は『テスタ・ロッサ』、そしてグループB用のスペシャルには『GTO』と、 往年のレトロな名車の名前を付けて新型車に「ハク」を付けるやり方だ。

新型の944人気に押されるように、911の売り上げも次第に伸び始めていた。
シュッツを始めとする経営陣は、まだまだ911に商品価値があるのを驚くと同時に、うれしい誤算であると感じた。
旧型車にまだまだ商品価値があるのに、新しいモデルの充実は考える必要が無い、あえて944のラインナップを増やさずに、 911で出来る限り引っ張って行こうという考えが頭をもたげた。
ここがシュッツとフェリー、もしくはフールマンとの違いである。
フェリーやフールマンは、技術的に遅れた物をメインにするなど、優れた技術者としては「恥」だと感じる人物であった。
しかしシュッツは元々営業筋の人間である。
ニーズに求められれば昔の技術でも古い名前でも『商品』として前面に押し出す「しぶとさ」が彼の心情であり、経営方針である。
ここで一つ断わっておきたいのは、私は別にシュッツが悪いとか、技術に関して知らないとか言っているのではない。
事実、彼が技術的に目を掛けていた「4WDシステム」は、その後959、カレラ4と花開く訳であるし、 911をしぶとく残したおかげで、1990年代の不況の中、ポルシェ社は生き残る事ができたのだから・・・

しかしそのおかげで、944の開発は先延ばしになってしまった。
当初、944LMにターボが付いていた事から「すぐにターボモデルが出る」とか、「スペシャルバージョンが開発されている」とか言われていた割には、 いつまでたっても「素の」944だけであった。
そして、確かに完成度が高かったとはいえ、944は85年まで、マイナーチェンジらしいマイナーチェンジも無しにそのまま生産が続けられるのである。

それでも944は売れた。
当時、スポーツカーといえば、まだまだ乗り心地が悪く音のうるさい車、という定説の中で、 944は乗り心地が結構良く(サルーンのようにはさすがにいかなかったが)、静かで、 オートマチックトランスミッションを完備した928のスケールダウンモデルだったからである。
これは新しいスポーツカーやGTの指針がそちらに向いていたのであって、先述した日本のスープラや280ZXも、 これらの流れにそってはいたが、まだまだ944の高速安定性や操縦性には追いついていなかった。
このように考えてみれば、確かに928は時代を先取りした名車だったと言える。
944の成功は、924と928無しには語る事が出来ない。

そしてあの狂った騒ぎ、そう、944の命運を揺るがせた世界的な狂乱が始まるのである。


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