第2章 4話
911の後継車

新しく社長となったペーター・シュッツは、当面ポルシェ社にあった問題に頭を悩ませる事になる。

それは、旧態化した911の後継車をどうするか、と言う非常に難しい問題であった。
フールマンが力を入れた928は確かに素晴らしい車で、当初の狙い通り新しい一クラス上のマーケットを開拓した、が、それは特に難しい事ではなかった。
ジャガーは既に魅力的だったEタイプの生産を中止してしまったし、 エレガントなアストン・マーチンは信頼性の低さと会社自体危ない状態で、熱狂的な顧客以外は敬遠する存在となっていた。
また、フェラーリのベルリネッタはどちらかといえば、レーシングカー的要素が強くなり過ぎ、一般的な金持ちが求める安楽さが足りなかったし、 マセラティはこの市場から撤退し、ランボルギーニにいたっては過激すぎるシロモノで、ちょうど空席になってしまったこのクラスの王座を928は『やすやすと』手に入れたのである。

しかし928にも誤算があった。
古くからの熱狂的な911フリーク達は、この大型GTを「断じて」911の後継車としては認めなかったのである。

個人的にはシュッツも同じ気持ちだったかもしれない。
なぜなら彼はフェリーやフールマンとは違い、熱狂的な911フリークだったと言う話だからだ。
しかし立場を考えれば彼自身そのような事は言っていられなかった。
なぜなら911はその頃すでに旧態化しており、根強い人気があったとは言え売り上げが下がっている事は無視できない事実だったのである。
シュッツはある決断を強いられていた。
そして出した結論は、早急に911の後継車を開発する事。
そして911は80年代に入り次第生産中止の方針を取る、と言う物であった。

シュッツは911の後継車として924を選んだ。
彼にしてみれば、技術的な事は別にして(彼はフールマンと違い、技術者上がりではなく営業主体の男だった)924は、 特にターボは911の後継車として充分な素質があると感じていたのである。
ただ、ポルシェ社の常として、生産中止が決まった車に関してもぎりぎりまで開発を止めない、という事で、911の改良も常に念頭に置かれていた。

924(ターボも含む)はシュッツの思い通り、この頃にはかなり評判が高くなっていた。
特にシュッツの出身地であるアメリカでは、トランザムやSCCAストックカーの常勝に顔を出し、スポーツ性が高く素性が良いことも充分に知られていた。

そして、今度はポルシェ社からワークスとして、すでに旧式となった935ターボに変るレーシングカーを作る素材に924をチョイスした。

それは924ターボの開発過程より並行して進められ、80年のル・マン24時間レースに出場させるべく、まず79年のフランクフルト・ショーに試作車が展示された。
それはフロントグリルこそ924と同じであったが、前輪のフェンダーはシルエットが大きく膨らんだブリスター・フェンダーになり、 後輪には大きな後付けのオーバーフェンダーが取り付けられ、ボンネットには吸気用のエア・スクープが取り付けられた『特殊な』924であった。
その車は翌80年のル・マンに3台出場し、見事3台とも完走した。

その『特殊な』924は、翌81年にホモロゲーション取得のため400台のみ限定生産された。
試作車とはフロントグリルが少し違った(924ターボのエア・インテークが付いていた)が、エンジンはル・マンに出た物をそのままディチューンした210HPの物を使用していた。
これこそ『究極の』924、カレラGTである。

この「924カレラGT」は、911の名前だけのカレラと違い、純粋にポルシェの伝統にのっとった「レース仕様の高性能版」にのみ与えられる、栄光の称号であった。
そして翌81年、カレラGTをより進化させたGTSとGTRが50台造られた。

924カレラGTは、各ツーリングカーレースで様々なタイトルを勝ち取っていった。
モンスターのような935ターボやグループ6の936も現役で頑張ってはいたが、すでにポルシェのモータースポーツの中心車種は、あくまでも924カレラ・ターボに移行していたのである。
81年のル・マン24時間では、前年よりも1台多い4台が出場し、そのうちの1台は、総合12位、グループ4クラス1位という成績を残している。
しかもその年、総合7位、GTプロトタイプクラス3位の車は・・・いや、これはまた後に記す事にしよう。

とにかく、ポルシェ社の大きな割合を占める「レース活動」で、とうとう924は911系を退けて、メインの車種として君臨したのだ。
これは当然、元になった924の基本的な素性の良さがあってこその事であろう。

924カレラの活躍と共に、市販モデルの924ターボも改良が重ねられた。
924はほぼ完成の域に近づき、ミッションをコストのかかるポルシェ製からアウディ製に変えた(これは後に924ターボも同様に変更される)ぐらいであるが、 924ターボに関しては発売の翌年、81年モデルよりエンジン形式を変えていた。

どうしても初期のターボエンジンはターボの効きが強く出すぎる、いわゆる「どっかんターボ」になりやすい。
924ターボもその例外ではなかった。そこでエンジン自体がハイパワーを絞り出すようセッティングし直し、ターボチャージャーを小径化することにより、 ハイパワーとピックアップの良さを両立させたのである。

924、特に924ターボはシュッツの思惑通り、素晴らしい車に仕上がった、が、ここに大きな落とし穴が待っていた。

924ターボは既に911に並ぶ性能(当時、911はターボとSCの2本立てであった)を持っていた。
仕上げ、ルックス、どれを見ても911に負けない車であった。
ただ、値段までも911に近い高額な物となっていたのだ。
不思議な物で、人は大きく、偉そうに見えると言う権威に弱い。
911に比べ924はスマートで、こじんまりとし過ぎていた。
性能的に911と変らなくても、2リッタークラスの車はどこまで行っても2リッターである、という大衆の盲目な先入観にとらわれ、 924は911の後継車として適格でない、と考えられてしまった。

924の道は閉ざされてしまった。
シュッツは、新たなる911の後継車を短期間で開発しなければならなくなってしまったのである。


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