第2章 3話
最速車の栄冠

サバンナRX−7の登場は、ポルシェ関係者に少なからず衝撃を与えた。
確かに細かい仕上げ(デザインにしろ内装のフィニッシュにしろ)などはまだまだ924にアドバンテージがあったが、 動力性能と値段を照らし合わせると、魅力的な車だと言うことを認めない訳にはいかなかった。

そしてそれはもう一つ、新たな脅威を予感させた。

それは、今までアドバンテージを保ってきた多くのライバル達や、RX−7のようにまだ見ぬ後追いのライバルとなるべき新型車が、 今後924にターゲットを絞ってくるという予感である。
現在の優位性を脅かす存在は、ポルシェの威信にかけて許される事ではない。

924は、優位性を保つための『逃げ』、もしくは、追ってくるライバル達を迎え撃つ『迎撃』の体制を取る事になった。

当然、924に求められるのは「パワーアップ」であった。
そしてその解答は、当時ポルシェが他メーカーより抜きん出ていた「ターボチャージャー」に託された。

ポルシェのターボ歴は諸兄が知っているよりもずっと古く、 第二次世界大戦中、戦車用に開発された空冷ディーゼルエンジンに最初用いられた。
そして1972年にはレーシングカーの917カンナムシリーズなどにも採用され、 1974年には市販車ベースのプロトタイプ・レーサーであるカレラRSRターボなどにも使われたりして、 ターボチャージャーに関しては既に充分な知識とノウハウを持っていたのである。

しかし、市販車にそれを採用する事になるにはもう少し複雑ないきさつがある。
実はターボには、それとは違う課題を市販車には与えられていたのだ。

それが、第1章3話に記した『当時のハイ・チューニングに変る「マスキー法」に引っかからないチューンナップ』だったのである。
フールマンを始めとするポルシェのメンバーは、このレース用ユニットを市販車にフィードバックするため様々な実験を試みた。
結果、1973年のフランクフルト・モーターショーに「911ターボ」を陳列する事に成功した。
これは、2.8Lのターボチャージャー付きフラット6ユニットを積んでおり、最高出力280HPを絞りだし、最高速度280Kmと発表されていた。
そしてそのボディーは、その年市販されたカレラRS(マニアの間で、「73カレラ」と呼ばれている) のオーバーフェンダーがかわいく見えるほどの異様に張り出したオーバーフェンダーと太いタイヤで、 翌年より実施される5マイルバンパー装着義務のためにフロントフェイスが大きく変えられて (スタイリング的には、1974年限定発売された「911カレラRS3.0」と同じ)いた。
翌74年には、「911ターボ」をより現実的で実用的にリニューアルした「ポルシェ・ターボ」が発表 (日本では930ターボと呼ばれた)され、これは翌75年より、そのままの状態で市販された。
これは、プロトタイプに比べて3L、260HPとややトーンダウンされてはいたが、 当時0〜100Km5秒、0〜400m13秒以下という数字はもはや尋常なものではなかった。
また、特筆すべきはポルシェが特許を取った「ブローオフ・バルブ」がセットされている事であり、 これによって、ブースト圧の上がり過ぎを防ぐばかりでは無く、再加速時のレスポンスを向上させていた。

ポルシェはこの後もターボチャージャーの研究を進め、1977年にはインタークーラーを装備したターボを発表した。
吸気を冷却する事により出力が大幅にアップした。

この、ターボチャージャーを搭載する新しい車として924は抜擢された。
現在間違った知識として多いのが、「ターボはポン付けするだけで安易に速くなる」という考え方であるが、ある意味、ポジティブな部分では実は正しいのである。
と言うのは、例えばターボと同じだけの馬力をメカチューンで出そうとするなら、大幅なコスト、そして耐久性を保つ為に多大な補強を入れなければならない。
それによる重量配分の狂いや車輌全体のバランス取りを考えるなら、ターボはほとんどそれを考える事が必要無いのである。
ポルシェが924にターボを付けた理由も、ひょっとしてあのすばらしい『バランス』を崩したく無かったのかも知れない。

しかし見えない所で、ポルシェは大幅に924に手を加えた。
シリンダーヘッド、ピストン形状は言うに及ばずバルブ取り付けやエグゾースト径、プラグの取り付け位置にまで手を入れた。
また、足回りやシャシの強化にも余念はなく、特に強化した911/928のブレーキと5穴アルミホイールの付いた物も作られる事になった。

ポルシェ社の社長が、フールマンからペーター・シュッツに代わった1979年、 924ターボは発表され、1980年モデルとして発売される事になった。

924ターボはどこから見ても、『リアル・ポルシェ』であった。
やや大人しめのスタイルは、エア・インテークとリア・スポイラー(日本仕様では認可が下りず未装着)をまとい、 上級車のターボSには928と同じ、フォージドアロイホイールを履き、太く偏平したタイヤを付けていた。
そしてインテリアも、シート地の布が硬いツイードからソフトなネルやベロアに変えられ、 手触りの悪い塩化ビニールのステアリングは911や928と同じ本革巻きの3本スポークや4本スポークの物が採用された。
そして何と言ってもエンジンが素晴らしかった。
当時のポルシェの従業員の言葉にこのような物がある。

「我々が最初作ろうとした924は、実はターボの方により近い。
924はターボをもって『完成した』と言い切れる。」

924ターボは当時の911SCと、ほぼ同等の性能、いや、フィールドによっては911SCよりも高い動力性能を発揮した。
これでは頭の堅い、口の悪い911フリーク達も何も言えなかった。

しかも、924ターボは新たな栄光をポルシェにもたらす事になる。

マスキー法による排気ガス対策以降、活気のなかった小型スポーツカーの中で、 1974年に生産中止になったBMW2002ターボがずっと王座に輝いていた「2リッタークラスのスポーツカー」 での最速車の栄誉を勝ち取ったのである。実に6年ぶりの王座交代であった(ただし、日本仕様は多少のパワーダウンによりBMWターボには勝てていない)。

924は素晴らしい車になった。
そしてそれは「最速車」の栄冠までもたらしたのである。


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