第1章 4話
新しい世代

株式会社社長としては初代、戦後のポルシェ社の社長としては2代目のエルンスト・フールマンは、ポルシェ社の社長としてよりも、むしろ天才肌の技術者としてその名は高い。
彼は丁度ポルシェ社が置かれている状況の様々な問題点を的確にクリアーするよう、先に述べた911と914の問題点に取りかかった。
そしてそれ以上に、彼の気を引いたのが、「ヴァリアント計画」だった。

1972年、フールマン率いる新体制が確立された時、新しい経営陣が気を引かれたのは、『トランスアスクルの原理』で、これを新しいヴァリアントに組み込む事を前提に考えられた。
ヴァリアントの基本的な方針・・・それは、大人4人が乗れる2ドアクーペで、911と同等かそれ以上のパワーを持つエンジンを積み、 生産性、コストが911よりも相対的に楽で安価、ただし性能は911に劣ってはいけない・・・という大変難しい条件である。
しかし『天才』フールマンには、それをやってのける自信があった。
それまでのケーススタディ(911のフラット6に2気筒繋げたフラット8や、914に908レーシングのエンジンを積んだ914/8・・・ これは2台作られ、1台はフェリー・ポルシェ自身の愛車となった)とは全く違い、まず生産性の高いフロントエンジン・リアドライブ方式を取る事で、コストの低減と車輌の整備性を良くする事を念頭に置いた。
また、フロントエンジンなら、エンジンを大型化するにも楽である。今後厳しくなると思われるマスキー法 (当初は、マスキー法は年々厳しくなると考えられていた)に対処するにも、エンジンの大型化は見越して取りかからなければならなかった。
また、当時のポルシェに無く他の競合車にあった物、それは偉そうに見えるルックスであり、所有者の見栄に値する押し出しの強さであった。
フェラーリやマセラティ、アストン・マーチンにジャガーEタイプは、それがあったからこそ1クラス上の車と考えられていたが、実は走行性能は、2,2〜2,4の911と大差は無かった (というより、911がそれらの大型車と並ぶ動力性能を持っていた事のほうがむしろ驚きだが)。

フールマンはこの『ヴァリアント計画』に夢中になった。
一見、911とヴァリアントにはなんの接点も無いように見えるが、実はフールマンから見ればこれは全くの正常進化だったのである。
マスキー法により排気ガスをクリーンに保つために排気量を拡大する事は前にも述べたが、衝突安全規制に対処するにはフロントエンジンの方が断然有利だった。
また同じように厳しくなる騒音・振動に対する規制には、エンジンを水冷化することが一番の早道で、コストもかからなかった。
911の魅力に、吹け上がりの鋭いエンジンが上げられたが(事実、911の動力性能はこの時期でもトップクラスのものだった)、それが騒音や振動に悪影響を及ぼしている事は明らかだった。
それらを加味して、356が911にステップアップを図ったように、911とヴァリアントを合わせると、おのずとヴァリアントの姿が浮かんでくるのである。
もっとも、ひょっとしてフールマン自身、フェラーリやアストンに対する憧景が、決して表面化しないところにあったのかもしれない。

そしてヴァリアントのデザインは、元GMで名をはせたアナトール・ラピーヌに依頼した。
今まで自社でデザインも行っていたポルシェ社にとって、これも『異例』なことであった。フールマンはこの『ヴァリアント』を、今までのポルシェとは違った「未来を見透かした」車にしたかったのである。
ラピーヌもこの事は良く承知し、今までに無い試みを提唱した。その1つが「カタマリ理論」であり、今後絶対に必要不可欠になる大型バンパーをボディーの一部とすることで、いわゆる「バンパーレス」のような流れるデザインが可能になり、無骨で見苦しい「出っ張り」を排除できるのである。

ヴァリアントに対して、一つだけ懸念が残った。
そう、エンジンである。当初、そのために新しい8気筒エンジンをポルシェ社は開発していた。
V型としなかったのは、フラット8も同じく開発され、試作されていたからだ。
その時、時間にしてヴァリアント計画より数ヶ月後だが、VW社の社長であるライニングより思いもしないオファーが持ち込まれたのである。

「VW、アウディ用にスポーツカーを開発して欲しい。」

 先に話したライニングだが、アウディを切り放した時にアウディ社のルイードウィッヒ・クラウスにこのようなコメントをしたと言う。
「アウディは素晴らしい、が、素晴らしいだけでは車は売れないよ。メーカーのイメージリーダー的存在が必要だ。」
その時クラウスは、VW、アウディ社のパーツを使った小型スポーツのインスピレーションが浮かび、それをライニングに持ちかけた。
ライニングにとって、それは現在ポルシェとの間にある「フォルクスワーゲン・ポルシェ販売会社」の914よりも魅力的に感じられた。
そして販売会社から手を引く代わりに、その新しいスポーツカーの開発をポルシェに依頼したのである。ライニングにとっては、精一杯の系列を思いやった企画だったのであろう。

ライニングの申し出をフールマンは快く承諾した。
彼には技術的な、一つの野心があったのである。

それが後に、「積み木箱原理」と呼ばれる、「直4エンジンを2つ足してV8、直5エンジンを2つ足してV10を作る。」といった考え方である。
VW・アウディスポーツのエンジンを2つ足して「ヴァリアント」に乗せる。
という方針は、当時の『新しい』ポルシェの経営陣は賛成し、ヴァリアントのエンジンは決定された。
余談であるが、フェルディナント・ピエヒ博士がアウディに参加した時も、この意見を提唱した事を知っている諸兄も多いであろう。

そのため、ヴァリアントとVW・アウディスポーツは並行して開発されることになった。
デザインは同じく、ラピーヌのチームに依頼され、どのように見ても兄弟車だと一目でわかるよう依頼された。
ラピーヌは、ボディーシルエットをほとんど同じにして、細かい部分をもっと常識的に、奇を狙わずまとめあげた。
ヴァリアントほど攻撃的で、未来的ではないが、そのスタイルはまとまっていて、優雅で、女性的とすら感じさせるスマートなボディーをVW・アウディスポーツに与える事になる。

そしてこの時期、先に上げたオイルショックが勃発。
大型のヴァリアントより、むしろ小型のVW・アウディスポーツの開発を急がなくてはならなくなった。

カンの良い諸兄はもうお気付きだろう。この中に出てくる『ヴァリアント』は、後の928となるのであり、また『VW・アウディスポーツ』こそ、L4ポルシェの始祖、ポルシェ924として世の中に発表される事になるのである。


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